• 和歌山発・世界で唯一の「素粒子チタンREDOXハイブリッド触媒」

「それは学術的におかしい」と言われた話

本技術の説明において、
私たちは大学の教授から次のように指摘されたことがあります。

「“素粒子”という呼称は、学術的には不適切です。」

物理学の国際的な用語体系において、
elementary particle は **「基本粒子」**と訳されるべきであり、
その意味では、この指摘は 学術的に正しいものでした。

私たちは、その事実を否定していません。

しかし同時に、こうも考えました。

学術用語として正しいことと、
技術の設計思想を正確に伝えることは、同じではない

言葉を変えなかった理由

私たちが扱っているのは、
素粒子物理学の理論そのものではありません。

粒子の階層を分類する話でも、
物理学の厳密な定義を論じる場でもありません。

ここで「素粒子」という言葉に込めているのは、

  • 余計なものを足さない

  • 混ぜない

  • 固定しない

という 設計思想そのものです。

「素」という日本語が持つ
“削ぎ落とした先に残る本質”
という意味を、どうしても伝えたかった。

そのため、
学術的な整合性よりも、思想の正確さを優先する
という選択をしました。

言葉の是非より、問題はどこにあるのか

問題は、「素粒子」という言葉そのものではありません。

問題は、

言葉の意味を曖昧にしたまま、
便利なラベルとして使い続けてきたこと

にあります。

「小さいから効く」
「ナノだからすごい」

そうした説明が積み重なった結果、
技術の中身よりも、
言葉だけが先行する状況が生まれました。

結論(宣言)

私たちは、
学術用語としての厳密さを軽視しているわけではありません。

しかし、

思想を誤って伝えるくらいなら、
用語として“怒られる”ほうを選ぶ

それが、この技術に対する立場です。

「素粒子の中に、基本粒子がある」という日本語の矛盾

日本語の科学解説では、ときどき次のような説明が見られます。

「素粒子の中には、より基本的な“基本粒子”が存在する」

一見すると学術的に聞こえますが、
これは 言語的にも、概念的にも成立しない説明です。

「素」という言葉が示す意味

日本語における「素」とは、

  • 素材

  • 素顔

  • 素の状態

に共通するように、

これ以上、削れない本来の姿

を意味します。

つまり「素粒子」とは、
それ以上“中身”を前提にしない単位を指す言葉です。

にもかかわらず起きている説明のねじれ

その「素」の中に、

  • さらに「基本」があり

  • より小さく

  • より本質的な何かがある

と説明してしまうと、

「素の中に、もっと素なものがある」

という自己矛盾が生じます。

これは科学の問題ではなく、
日本語の意味の問題です。

なぜ、こんな説明が生まれたのか

理由は単純です。

  • 英語の elementary particle
    「素粒子」と訳してきた歴史

  • その後、理論が進み
    クォークやレプトンなどの分類が増えた

  • しかし用語だけは整理されないまま残った

結果として、

言葉の整理をせず、説明だけを継ぎ足す

という状態が続いてきました。

問題は「用語」ではなく「説明の姿勢」

私たちは、

  • 「素粒子」という言葉を使うこと

  • 「基本粒子」という言葉を使うこと

そのどちらかが間違っているとは考えていません。

問題は、

言葉が示す意味を一度も立ち止まって考えず、
都合よく使い続けてきたこと

にあります。

言葉が曖昧になれば、
概念も、技術の説明も、評価軸も曖昧になります。

REDOXがこの問題に触れる理由

私たちは物理学の教科書を書いているわけではありません。

しかし、

  • 言葉の意味を曖昧にしたまま

  • 技術を説明すること

その延長線上に、
誤解と過剰な期待が生まれることを、
現場で何度も見てきました。

だからこそ、この点にはあえて触れています。

結論(断定)

「素」である以上、
その中に“より基本”は存在しない。

この矛盾を放置したままでは、
どれほど高度な理論も、
正しく伝わることはありません。

理科辞典ですら、おかしな分類になっている

この「素粒子」と「基本粒子」のねじれは、
専門書だけの問題ではありません。

実は、中学・高校向けの理科辞典や学習用資料においても、
同様の矛盾がそのまま引き継がれています。

辞典で起きている典型的な説明

多くの理科辞典では、次のような構成が見られます。

  • 見出し:素粒子

  • 説明文:
    「物質を構成する最も基本的な粒子。
     その中には、クォークやレプトンなどの基本粒子がある。」

ここで起きているのは、

「最も基本」と説明した直後に、
さらに“基本”を置く

という論理破綻です。

なぜ辞典でも修正されないのか

理由は、ほぼひとつです。

  • 用語を直すと

  • 教科書・指導要領・入試問題まで

  • すべて修正が必要になる

そのため、

おかしいと分かっていても、
誰も手をつけない

という状態が続いています。

結果として、

  • 教える側は違和感を飲み込み

  • 学ぶ側は「そういうものだ」と覚え

  • 言葉の意味を考える機会が失われる

という構造が固定化されました。

これは科学の問題ではない

ここで強調しておきたいのは、

これは
物理学の理論が間違っているという話ではありません。

問題なのは、

  • 理論の進化に

  • 言葉の整理が追いついていないこと

そして、

その矛盾が、教育の現場で
当たり前のように放置されていること

です。

なぜREDOXは、この話をあえて出すのか

私たちは、
辞典を批判したいわけでも、
教育を否定したいわけでもありません。

しかし、

  • 言葉の意味を曖昧にしたまま

  • 技術や材料を説明すること

が、
どれほど多くの誤解と混乱を生んできたかを
現場で見てきました。

だからこそ、

「それ、言葉としておかしくないか?」

という問いを、
あえて置いています。

結論(静かな断定)

理科辞典に載っているから正しい、とは限らない。

言葉が整理されていないまま
知識だけが積み重なると、
理解は必ず歪む。

REDOXが用語にこだわるのは、
科学より先に、
説明が壊れる瞬間を知っているからです。

なぜ日本だけ「素粒子」という言葉を選んだのか

国際的な物理学の用語体系では、
elementary particle は **「基本粒子」**と訳されます。
この点に異論はありません。

それにもかかわらず、日本では長年にわたって
この言葉を **「素粒子」**と訳し、使い続けてきました。

この選択は、単なる誤訳や偶然ではありません。

「素」という日本語が持つ、独特の感覚

日本語の「素」は、

  • 素材

  • 素顔

  • 素の状態

といった言葉に共通するように、

余計なものを削ぎ落とした結果、最後に残る本質

を意味します。

ここで重要なのは、
「小さい」「細かい」「階層が下」という意味ではない、という点です。

「素」とは、
これ以上引けない状態を指す言葉です。

なぜ「基本粒子」ではなかったのか

もし「基本粒子」という言葉だけを採用していたなら、

  • 基本の中に、より基本があるのではないか

  • さらに下位の階層があるのではないか

という発想が、言葉の上で自然に入り込みます。

実際、日本語の解説では今もなお、

「素粒子の中に、より基本的な“基本粒子”がある」

という説明が見られます。

しかしこれは、

  • 「素」であるはずのものの中に

  • さらに「基本」がある

という、国語的にも概念的にも成立しない構造です。

日本が選んだのは「階層」ではなく「状態」を表す言葉だった

日本語としての「素粒子」は、

  • 粒子の大きさ

  • 階層の上下

  • 分類上の最下層

を示すための言葉ではなく、

これ以上、意味を削れない概念単位

を表す言葉として選ばれた、と考える方が自然です。

つまり日本は、

  • 国際用語の直訳
    ではなく

  • 日本語としての意味の収まり

を優先した、とも言えます。


それでも生まれた、現在の混乱

問題は、「素粒子」という言葉そのものではありません。

問題は、

  • 理論が進化し

  • 分類が増え

  • クォークやレプトンといった概念が導入されたあとも

言葉の整理をしないまま、説明だけを継ぎ足してきたことです。

結果として、

  • 素粒子

  • 基本粒子

  • より基本な粒子

といった表現が混在し、
「素とは何か」を誰も説明しなくなりました。


REDOXが、この言葉をあえて使う理由

REDOXにおける「素粒子」という言葉は、

  • 物理学の階層を語るためのものではありません

  • 学術分類を主張するためのものでもありません

混ぜない
足さない
固定しない

という設計思想を、

日本語として最も誤解なく伝えるための言葉として、
あえて選んでいます。

結論(静かな断定)

「素粒子」という言葉が問題なのではない。

言葉の意味を考えなくなった説明の姿勢こそが、問題である。

日本が「素粒子」という言葉を選んだこと自体は、
決しておかしくありません。

おかしくなったのは、
言葉を問い直すことをやめた、その後の説明です。

化学が宗教になるとき

科学は、本来「疑う」ことで進歩してきました。
仮説は検証され、否定され、書き換えられ、
それでも残ったものだけが次に進む。

ところが、ある瞬間から
疑われなくなった概念が生まれます。

そのとき、科学は静かに宗教へと姿を変えます。


素粒子の場合

― 言葉が神聖化した瞬間 ―

「素粒子」という言葉は、本来
**“これ以上削れない本質”**を示す、日本語として極めて強い表現です。

ところが理論が進むにつれ、

  • 素粒子の中に

  • より基本的な基本粒子があり

  • さらに階層がある

という説明が、疑われないまま定着しました。

誰もが薄々おかしいと感じながらも、

「学術的に決まっている」
「教科書に載っている」

という理由で、言葉は修正されませんでした。

結果として、
意味が壊れたまま、権威だけが残った言葉が生き続けています。


光触媒の場合

― 現象が信仰に変わった瞬間 ―

光触媒も、最初は非常に限定的で健全な技術でした。

  • 紫外線が必要

  • 反応条件は厳しい

  • 実用範囲は限定的

しかし次第に、

  • 可視光でも効くはずだ

  • 混ぜれば広がる

  • 足せば進化だ

という期待が先行し、

「効く前提」で技術が語られる世界

が生まれました。

効かない結果は、

  • 条件が悪い

  • 測定が未熟

  • 理解が足りない

として処理され、
前提そのものは疑われなくなりました。


宗教化の共通点

素粒子と光触媒には、驚くほど共通点があります。

  • 言葉が先に固定される

  • 中身は後から継ぎ足される

  • 矛盾は説明で覆われる

  • 疑う行為が「無理解」とされる

この段階に入ると、

「正しいかどうか」ではなく
「信じているかどうか」

が評価軸になります。

これは科学ではありません。


科学と宗教の分かれ目

科学と宗教の違いは、
信じるか信じないかではありません。

前提を疑っていいかどうか

それだけです。

  • 疑えるうちは科学

  • 疑えなくなった瞬間、宗教

素粒子も、光触媒も、
問題は理論ではなく
疑う姿勢が失われたことにあります。


REDOXが距離を取る理由

REDOXは、

  • 新しい理論を作ろうとしているわけでも

  • 既存科学を否定したいわけでもありません

ただ、

言葉
前提
設計思想

を、一度「素」に戻して考える
という立場を取っています。

それは進化ではなく、回復です。


結論(静かな断定)

科学が宗教になるのは、
間違ったときではない。

疑われなくなったときだ。

素粒子も、光触媒も、
いま必要なのは新しい信仰ではありません。

問い直す勇気です。