
光触媒は、いつの間にか「治す技術」ではなくなった。
効かないと言われれば混ぜ、動かないと言われれば足し、説明できなくなれば名前を変える。
そうやって延命を繰り返した結果、いま残っているのは「何が効いているのか、誰も分からない技術」である。
これは進化ではない。研究でもない。慢性化した失調状態だ。
酸化チタンは悪くない。むしろ、非常にまじめで、誠実な物質だ。
白く、安定で、安価で、光が当たれば確かに反応する。
問題は、酸化チタンのまわりに集まってきた“混ぜ物”たちである。
1970年代、酸化チタンは脚光を浴びた。
「光で水が分解する」「汚れが分解できる」
この時点では話は単純だった。だが現実では、こう言われ始める。
光が弱い 夜は動かない 屋外では劣化する 思ったほど分解しない
そこで研究者は考える。
混ぜる。とにかく混ぜる。分からなくなったら、さらに混ぜる。
まずは金属を混ぜる。次に非金属を混ぜる。抗菌剤も混ぜる。樹脂で固める。吸着材も足す。
理由はいつも正しい。
電子を捕まえるため 暗所でも反応させるため 初期反応を強くするため
どれも論文としては成立する。
ただし――気づけば誰も「酸化チタンそのもの」を見なくなった。
光触媒研究の主役は、本来、「酸化チタン表面で何が起きているか」である。
だが現場では、どの金属を入れたか、どの添加剤を使ったか、どの樹脂で固めたかの話ばかりが増えていった。
そして、こんな言葉が生まれる。
光触媒配合 無光触媒 空気触媒 常温触媒
もはや何が触媒なのか、誰も説明しなくなった。
主役は酸化チタンのはずだった。
だが今、誰も酸化チタンを語らない。語られるのは、混ぜ物の名前だけだ。
思考停止が長期化しただけだ。
効かないから混ぜる。混ぜたから説明が増える。説明が増えたから全体が見えなくなる。
これは研究の進化ではない。慢性的な延命処置である。
しかもこの病気は、今も進行中だ。
ここは重要な点である。この病気は、研究者個人の怠慢ではない。
研究費が取れる 論文が通る 数値が出る
この構造が、「混ぜたほうが評価される」方向に流れただけだ。
だが同時に、「構造のせい」で済ませ続けた結果、技術の中身が空洞化したことも事実である。
気づけば、「酸化チタン単体で何が起きているのか」を真顔で語れる人が、どんどん減っていった。
いま、光触媒を語る人は多い。
だが、なぜ効くのか、どこで反応しているのか、何が本体なのかを説明できる人は少ない。
これは皮肉ではない。本当に、分からなくなっているのだ。
混ぜ物が多すぎて。
ここまで混ぜられても、酸化チタンは黙っている。
白いまま。安定なまま。反応するときだけ反応する。
ただ、そこにあるだけだ。
問いは一つである。
本当に見るべきだったのは、混ぜ物ではなく、酸化チタンそのものではなかったのか?
この文章は、光触媒を否定するためのものではない。むしろ逆だ。
もう一度、主役を主役として見直すための話である。
酸化チタンは、まだ語り尽くされていない。語れなくなったのは、人の側だ。
※ 注記
本稿は、光触媒研究および製品開発の歴史的傾向と構造を俯瞰的に整理したものであり、特定の研究者・論文・製品を批判するものではありません。